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ベトナムでは、中国から独立した970年から独自の

ベトナムでは、中国から独立した970年から独自の元号が用いられるようになり、1945年の阮朝滅亡まで続いた。阮朝は一世一元の制を採用したが、それ以前も陳朝期以降は在位中の改元が少ない。

19世紀後半にフランス植民地支配が始まると、新たに公用文となったフランス語文書で元号が使われることはなく、次いで広まったクォックグー(ベトナム語のローマ字表記)でも同様であり、元号の認知度は次第に低下した。1945年にベトナム八月革命が勃発し、ベトナム民主共和国(1945年〜1976年)の成立に伴い君主制が廃止されると、元号も全廃され、公用年号は西暦に統一された。しかし、1976年までの旧北ベトナムにおいて、寺社などの建築物の棟札・扁額や祈祷文などに見られる漢字テクストの中には1945年を元年とする「越南民主共和」と干支を非公式に使用した例があり、また、1946年発行の2ドン(đ?ng)銅貨にも西暦とともに1945年を元年としたnam?(2年)という表示がある。1976年以後も「共和社会主義越南」の使用例が同様に存在する(「共和社会主義越南」元年は「越南民主共和」元年と同じ1945年である)。また、同様に旧南ベトナムの寺社においても「越南共和」(ベトナム共和国:1955年〜1975年)を非公式の紀年法として使用した例がある。

朝鮮半島では三国時代の高句麗の広開土王が西暦391年に「永楽」という独自元号を使ったという記録が一番古いものであり、その後も複数の元号を使った史料がある。
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新羅でも650年までは独自の元号が用いられていた。高麗も第4代の光宗までは独自の元号が用いられたが、その後は中国の元号を用いた。李氏朝鮮では中国の元号を初めから用いたが、清に征服されその冊封を受けた後も、内心ではなおその正統性を認めずに国内文書では干支と国王の在位紀年が用いられ、また一部では明の崇禎の元号を用い続けた(崇禎紀元)他、近代に入ると太祖李成桂が即位した1392年を元年とする「開国紀元」の使用が見られるようになった。日清戦争により清の影響下から離れると「開国紀元」が公用化され、次いで1896年のグレゴリオ暦採用に伴い「建陽」の元号を建てた。大韓帝国成立後は一世一元の制を採用して「光武」「隆熙」の元号が定められた。日本に併合された期間は日本の元号が西暦と併せて用いられた。

独立後、朝鮮民主主義人民共和国は西暦を公式の紀年法としていたが、1997年9月9日、金日成の生年である1912年を元年とする「主体暦」の採用を宣言し、西暦と併用している。

大韓民国では、建国当初の一時期(1948年8月15日-9月24日)上海に大韓民国臨時政府が樹立された1919年を元年とする大韓民国紀元を公用年号としたが、その後李承晩政権時代には神話上最初の君主とされる檀君が即位した紀元前2333年を元年とする檀君紀元(檀紀)を採用した。1962年からは西暦に切り替えたが、その後も非公式に檀紀が使われることがある。

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2009年06月10日 10:52に投稿されたエントリーのページです。

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